世田谷区の地名由来

昭和7年 世田谷区誕生

大正から昭和初期には京王線・小田急線・大井町線・井の頭線などが開通した。大正12年9月、関東大震災が発生すると被害を受けた下町の人々は地価が安く交通の便のよい近郊へ移住し、世田谷も急激に人口が増え、電車の沿線は住宅地に変貌していった。烏山にこの年から昭和4年にかけて都心で被災した寺が22も移転し、寺町を形成している。このころ、玉川村全域で住民の手により大規模な耕地整理が行われているが、住民化への先取り事業として特記すべきことである。

 昭和7年10月1日東京市の区域が拡張され、世田谷の東京市に所属し、世田谷町・駒沢町・玉川村・松沢村の2町2村で「世田谷区」が成立誕生した。さらに、昭和11年10月にか北多摩郡であった千歳・砧村の2村が世田谷区に編入された。区はこの時人口21万701人、面積は現在の大きさの58.08平方キロメートルとなった。

 第二次大戦の終わりごろ、世田谷も空襲に遭い被害を受けた。しかし空襲による損失が比較的少なかったため、戦後から昭和40年代にかけて人口が急増した。現在約84万人の住む住宅都市となった。

世田谷区のシンボル


1968年(昭和43年)6月、東京100年を記念して、区の象徴とするのにふさわしい、区民に親しまれる鳥・花・樹を公募しました。
応募内容について、各分野の専門家の意見を基に選考した結果、鳥は「オナガ」、花は「サギソウ」、樹は「ケヤキ」にそれぞれ決定し、同年9月に制定されました。

 

今月の人口ピックアップ
 平成24年12月1日現在 総数 世帯
 住民基本台帳による人口と世帯 860,935人 410,959人 449,976 人 448,501世帯
 外国人登録人口 15,053人 7,659人 7,394人

 

世田谷地名辞典

ア行

赤 堤 池 尻 宇奈根
梅 丘 大 蔵 大 原
岡 本 奥 沢 尾山台

カ行

粕 谷 鎌 田 上 馬
上北沢 上祖師谷 上野毛
上用賀 北烏山 北 沢
喜多見 砧公園
給 田 経 堂 豪徳寺
駒 沢 駒沢公園  

サ行

桜 丘  桜新町
桜上水 三軒茶屋 下 馬
新 町 成 城 瀬 田
世田谷 祖師谷  

タ行

太子堂 代 沢 代 田
玉 川 玉川台 玉川田園調布
玉 堤 千歳台 弦 巻
等々力    

ナ行

中 町 野 毛 野 沢

ハ行

八幡山 羽根木 東玉川
深 沢 船 橋  

マ行

松 原 三 宿 南烏山
宮 坂    

ヤ・ワ行

用 賀 若 林  

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